9:白日の落下地点まで

 

 小5の時、野沢菜兄ちゃんがいなくなった。
 中1の時、鮪(つな)兄ちゃんがいなくなった。
 そして去年、鰹(おかか)兄ちゃんと梅兄ちゃんがいなくなった。
 高校に進学しただけなんて分かっている。
 でも、耐えられなかった。
 学校から帰ってきても、誰もいない。
 たまに大工になった野沢菜兄ちゃんと大学生の鮪兄ちゃんは帰ってくる。
 でも、鮪兄ちゃんと梅兄ちゃんは帰ってこなかった
 高校が忙しいんだろう、仕方がないんだ。
 でも寂しかった。
 鮪兄ちゃんの賢くも爽やかな笑い声が聞きたかった。
 梅兄ちゃんの騒がしく元気な笑い声が聞きたかった。
 みんなでこのリビングでお鍋をつついたのに。
 みんなでこのリビングでスマブラトーナメント戦をしたのに。
 どうしてここには僕しかいないんだろう
「うぅ……」
 授業中に兄ちゃんたちのことを思って。
 下校中に兄ちゃんたちが帰ってくる妄想をして。
 家に帰って泣く。
 そんな1年を握結鮭(にぎりむすびしゃけ)は過ごした。


 鮭のおむすびを2つ握って、鰹のおむすびも2つ握って、梅のおむすびは3つ握った。
 そして封筒の中身を眺めながら、残りのご飯を頬張る。
『藪之坂水橋高校 合格通知』
『入学のしおり』
 入学式。
「行ってきます。」
「いってきま〜っす!」
 去年の今日、たくさんの荷物を持った鰹兄ちゃんと梅兄ちゃんは、それきり帰ってこなかった。
 今度は僕の番だ。
「行ってきます……」
 誰もいない廊下に呟く。
 この家ももう無くなってしまう。
 僕も高校の寮に入ってしまうので、野沢菜兄ちゃんと相談して、家は売ることになったのだ。
 ここにはもう戻ってこれない。
 こたつ兼用のあの大きなちゃぶ台を囲むことはもうないのだ。
 鰹兄ちゃんと梅兄ちゃんと会えてももう兄弟みんなが一緒になることはないんだ。
「ぬぐっ……」
 ダメだ。
 泣いちゃダメだ。
 これから鰹兄ちゃんにと梅兄ちゃんに会いに行くんだ。
 なのに泣いていてはダメだ。
「いってきます」
 もう一度言い直してバタンとドアを閉めた。
 愛してた。


―――梅兄ちゃん、ポン酢取って。
「合点承知の助! ほーい、ポン酢だよ〜!」
 僕がゆっくりと鍋を味わっていると、鍋を挟んだ向こう側で野沢菜兄ちゃんと鮪兄ちゃんが争っていた。
「おらてめぇ、鮪! 俺の肉返せっ!」
「うぇっへへ〜い! 取れるもんなら取ってみな? 野ぉ沢菜ちゃーん!」
「あぁ? 剣道部部長、握結野沢菜をナメてると痛い目に遭うぞ? あぁ?」
 野沢菜兄ちゃんは一番上の兄ちゃんで、とても体が大きい。剣道がとっても強くて、中学の剣道部で部長をやっているらしい。家でもよく瞑想をしていてとってもクールでかっこいい。
「そういうのは、このお肉を取ってから言いなさい? 野沢〜ん」
 鮪兄ちゃんは二番目のお兄ちゃんで、いっつもいたずらばっかりしている。特に一番上の野沢菜兄ちゃんにばっかりちょっかいかけてるもんだから、いっつも喧嘩している。
「ほーれほーれ、このスピードに付いてこれなくて何が剣道部部長よ? いっひひひこの肉を……ってあれ?」
「貰ったにゃー! ふっふふー鮪兄ちゃん甘いねぇー」
「くっ……しまった……野沢っちに気を取られて梅に気付かなかった……ま、野沢んのお肉だしいいっか☆」
 いつの間にか、僕の隣にいたはずの梅兄ちゃんまでもが参加していた。
 梅兄ちゃんは、4番目(本人は3番目だと強く主張しているけど)のお兄ちゃんで、いっつも楽しそうに走り回ってる。3番目のお兄ちゃん、鰹兄ちゃんとは2卵生双生児らしい。でも、梅兄ちゃんは子供っぽくて、鰹兄ちゃんとは大違いだ。
「てめぇ許さん! 鮪ぁぁああ!」
「なんで俺!? 食ったのは梅ちゃんだよ、ねぇちょ落ち着いて野沢ん!」
「はむはむ……うまいにゃー!」
「ねぇ痛い! 痛いよ野沢菜ねぇちょっと! 手加減してよ!」
「まぁまぁ、野沢菜兄さん、鮪兄さん、そこらへんにしたらどうです? 肉はまだまだたくさんありますから。」
「……興がさめた。鰹。肉、貰おう」
「はい、野沢菜兄さんどうぞ。」
 鰹兄ちゃんは3番目のお兄ちゃん。僕と1歳しか年が違わないのにとても大人っぽい。眼鏡を掛けているし、頭も良いし、何よりも強い。人が痛みを感じる場所を知ってるらしく、鰹兄ちゃんと喧嘩になると、すぐに膝とか腰とか痛くなっちゃうので誰も鰹兄ちゃんには敵わない。
「ひゅーっ……助かったよ……おっ? 鮭ちゃんもうお茶碗空っぽじゃん。よそってこようか?」
―――うん、お願い。
 鮪兄ちゃんにお茶碗を渡そうとしたら、
 コトリ
「……?」
 バスの座席だった。足もとには水筒が転がっていた。


「次は、藪之坂水橋高校前。次は、藪之坂水橋高校前。……やむを得ず急停車することがあります。お降りの際はバスが止まり、扉が開いてから席をお立ちください」


 待ちきれないほど長い時間を耐えたあと、僕はやっと、寮の前に立っていた。
 ぞろぞろと列を成して進んでいく僕たち1年生。2、3年生が住む大きくてがっしりした寮の中に僕たちは飲み込まれていった。飲み込まれる緊張感と鰹兄ちゃんと梅兄ちゃんに会える緊張と積み重なって涙が出そうだった。
 寮の部屋は一人部屋だった。部屋に入って、真っ先に電気を消した。僕の家と同じ暗闇が広がった。でも人工的な消臭剤の匂いだけがそれを否定していた。



 ジリリリリリリリ……
 いつもの時計のいつものけたたましい音。時計……時計……
 ……。
 布団じゃなくてベッドに寝ていた。
「あれ……」
 横着しないで目を開けると、小さな部屋だった。ふすまも畳もすだれもなく、金属の扉と絨毯の床とブラインドがあった。
「……そっか」
 寮に寝ていたんだ。
 なんと制服のまま寝てしまっていたようで、ブレザーもシャツもネクタイもしわしわだった。
「アイロン……」
 ない。
 うぅ……しょうがない……このまま行こう……


 かばん一杯の教科書とワークとドリル。それとクラスメイトのうち僅かな人数の名前。これが今日得た全てだった。鮪兄ちゃんや梅兄ちゃんには会えなかった。
 そもそも兄ちゃんたちは、僕が入学したことを知っているんだろうか……もう鰹兄ちゃんも梅兄ちゃんも僕のことなんか忘れてるんじゃないだろうか……


「ねぇ、そこのキミ」
「ひぇっはっはいっ!」
 涙目で振り向く。
 いきなり呼びかけられたから思わず涙が出てしまったが、割と優しそうな先輩(?)だった。
 色褪せた桃色の髪の毛は大きくクールしていて、太い眉毛を隠していた。目は人懐っこそうな茶色い猫目だ。言っては悪いが少し老け顔だった。しかし、制服の学年バッチはしていなかった。
「キミ、握結 鮭くん、だよね」
「はいっ」
 何で僕の名前を知っているんだろう……僕の名前はもう先輩にまで知られわたっちゃってるんだろうか。
 どうして……?
「2年生に、鰹くんと梅くん、っていう兄弟が居ないかい」
「あっはい、いますっ」
「そうだよね。彼らには会ったかい」
「い、いえまだです」
「そうかい。彼らはそこの角を曲がった205号室に居るからね、行ってみるといいよ」
「え……あ、わざわざありがとうございます!」
 とってもいい人だった。でも、お礼から顔を上げた時、ギラギラと笑っていた気がした。


 行こうかな……いや、夜ご飯を食べてからにしよう。


 ブルルルル……ブルルルル……
 一度部屋に戻ってベッドに寝転んでいると、携帯が震えた。
『握結 鮪』
 つな兄ちゃんだ。
「はい、しゃけです」
「鮭ちゃん、藪水入ったんだってね〜いっひひ〜」
「あ、うん、入ったよ」
「どうだいどうだい、学校生活」
「まだ一日しか過ごしてないからなんとも……」
「いひひ……鮪兄ちゃんたちとはまだ会ってないみたいだねぇ〜」
「? なんで分かったの?」
「いやいや、何でもないよ? じゃあ、楽しんでね〜」
 ツー……ツー……ツー……
「……」
 何だったんだろう……
 まぁ食堂に行こう……ん?
 鮪……
 鰹、梅、鮭……
 あ。
 僕は思い出してかばんの中から腐ったおにぎりを取り出す。
「一緒に食べようと思ってたのになぁ……うぅ……」
 少し涙が出た。
 部屋の一角の小さなゴミ箱に捨てた。


「すーはー」
 205号室の前に立つ。
 金属のドアノブに手を掛ける。
「すーはー」
 一度ドアノブから手を離す。
 えーっと……鰹兄ちゃんと、梅兄ちゃんがこの中にいる。
 うん。分かってる。
 うん。深呼吸深呼吸。
「すーはー」
 これって、すー、とはー、どっちで吸えばいいんだろう。どっちでも吐いてるから息が苦しくなってきた……
 うぅ……
「すーはー」
 ドアノブは何度も触っていたせいで少し温まってきていた。
 あ、でも、もしかしたら中には誰もいないかもしれないしなぁ……そうしたら開ける必要はないし……
「すーはー」
 ガタガタッ
 中で物音がした。
 中に兄ちゃんたちは居るみたいだ。
 ドアノブを握る。
 いや、でも、ちょっと待てよ? 物音がしたってことは兄ちゃんたちは今忙しいのかも……そうしたらいきなり開けたら悪いなぁ……
「すーはガチャッ
「うわっ!」
 突然扉が開いて、僕は部屋の中に倒れてしまった。
 瞬時に後ろに手を拘束されて足も動かなくされた。
「確保しました。梅くん、捕まえてください!」
「合点承知の助〜」
「え? な、何なの……うぅ……」
 こめかみのあたりを軽く押さえつけられた。
 昔、もう二度と体験したくないと思った痛みが、こめかみを貫いた。
 間違いなく痛覚マスター鰹兄ちゃんの仕業だった。
 そして僕は気を失っ
「そうはさせませんよ。」
「ひぎぃ……!」
 一度落ちかけた意識が再度痛みで覚まされる。どこが痛んだのかも分からない。
 間違いなく鰹兄ちゃんのやり方だった。
 僕はいつの間にか毛布みたいなものにくるまれ、さらに伸ばした手と足を縛りあげられていた。
 外から見ると藁納豆のように見えるんじゃないだろうか……
「うぅ……ぐぅ……」
 体の芯に残っている痛みと、動かせない手足と、湧きあふれる涙でうまく声が出せない。
 うまくものも考えられない。
「やめぇて……ください…ぅうう」
「はにゃ? ……なんか聞いたことある声にゃ?」
「そんなわけ無いでしょう、梅くん。この子は、1年生ですよ?」
「いや、そういうんじゃなくてねぇ うーんなんだったかにゃ?」
「では、悲鳴を上げさせてみましょうか」
 ずえっ……「にぃえええええええええぇぇえっぇぇええええええええぎぃいいいいぃいいいい」
 痛い。痛い。痛い。
「いぃいいぃいぃいいぃい」
 下腹部がキリキリキリと痛む。
「……これ、鮭君じゃないでしょうか。」
「奇遇だね、ボクもそう思うにょ……」
「わたくし、弟の金玉を蹴ってしまったんですが……」
「だいじょぶじょぶ! しゃけならきっと許してくれるにゃ〜」
 ガバッ
 毛布が急に剥がされ、梅兄ちゃんの顔が覗く。
「ねぇ〜しゃけちゃ〜ん?」
 その顔はいつもの梅兄ちゃんと変わらないように見えたが、僕はまた気絶してしまった。


「しゃけちゃんぐー」
「しゃけしゃけー」
「おむすびにしたるぞー」
 パチッ
「ひぃっ!」
 僕は慌てて梅兄ちゃんと距離を置く。
「鮭ちゃーん、そんなに怖がんないでよ〜ボクたち兄弟でしょ?」
「たべられちゃぅ……」
「おむすび云々は冗談だから〜ね〜ぇ〜仲良くしようにょ〜」
 梅ちゃんが近づいてくる。
 後ろは壁。もう下がれない。
「あれ、鮭君。起きたのですか。」
 と、鰹兄ちゃんが部屋の奥から出てきた。僕は味方の登場に安心……
 できない! むしろ主犯格だった!
「うぅ……ぼ、僕、何をされるの……?」
「いやいや、何もしませんよ……私たちは相手の同意の上でヤることをモットーとしていますから。」
「そうそう! モットーモットー!」
「僕、同意してないのにいじめられたんだけど……」
 あと、やる、の発音がおかしい気がしたが、それは聞いてはいけないことのような気がした。
「……それは、まぁ、その行き違いと誤解がありまして……」
「そうそう、ゆキチガイとゴカイだよ!」
「……」
 そこまで言うなら……そうなのかもしれないけども……でもやっぱり怖い。

 ……コンコン

 扉を叩く控えめな音に、梅兄ちゃんと鰹兄ちゃんは突然目を輝かせた。
「今度こそ、来たんじゃないかにゃ?」
「そうですね。じゃあ梅くん、準備を。あと、鮭くん、そっちのベッドに避難していてください。」
 避難? 何をするのだろう。
 目をキラキラと輝かせながらも口は気だるそうに曲がっている2人は扉へ向かっていった。


 あるロックバンドのヴォーカルは、
 大勢の人の前でで気持ちよく歌えると魂が弾けて、
 ズボンの中で射精してしまう、というのを聞いたことがある。


 ここには弾けた魂しかなかった。
 人を不快にすることをしてはいけない。小学校のころから先生に幾度となく言われたことだ。
 でも、もし、いじめられている人が楽しんでいたら?
 いじめられている人が快感を得ていたら?
 どうなのだろう。
 小学校の先生は教えてくれなかった。
 中学校の先生は教えてくれなかった。
 高校は? 高校の先生は?
 こんな、先生のいないところでこんなことが起きていていいのか?
 これは正しいのか?
「そんなの、別にいいじゃない♪」
 知らない女の子の声がした。
 でも……暴力を。暴力はいけない
「だから、みんなが楽しんでいるじゃない♪それで何が不満なのよ?」
 だ、だけど……男が服を剥いで男同士……
「あら、ホモセクシャルの殿方を差別するの? あなただってお兄さんたちに特別な感情を抱いているく・せ・に」
 それは違、う。ぼくはホモじゃないっ……
「暴力は悪い、なんてことないのよ。ホモは悪い、なんてことないのよ?」
 ……。



 再び目覚める。
 服の下に隠れた無数の線状の擦過傷が印象的な1年生はもう居なかった。
 そしてその鞭痕を印した張本人2人は居た。
「お、おはよー?鮭chang…?」
「ひ……ひっ……」
 布団にくるまる。しかし先ほど布団でぐるぐる巻にされたのを思い出して布団から飛び出す。
「嫌われちゃったにゃー……」
「しょうがないことでしょうね……。」
 全くの他人が話しているかのようだ。空虚に耳の中で響く。
 昨日あったこと。
 鞭。
 踏む。
 首を締める。
 ガムテープ。
 口と口を……
 ちんちっ…………
 でも。
 彼は笑っていた。
 嬉しそうだった。
 気持ちが良さそうだった。
 安心した顔……満たされた表情だった。
 あんな苦しいことをされて、僕と同じ、1年生の彼は何が嬉しかったのだろう?
「……でも、もしぃそれが苦しいことじゃなくて、嬉しいことをされているのだとしたら?」
 それはもちろん、嬉しいのなら楽しいし、満足するだろう。
「もし、あなたがこの兄たちに、嬉しーいことをーされたらぁ?」
 嬉しいこと?
 僕は、……兄ちゃんたちがいるだけで嬉しい。
 そうだった。
 ショッキングな出来事が続いていて、忘れていた。
 僕は、嬉しかったんだ。
 あんなにも会いたかった梅兄ちゃんと鰹兄ちゃんに会えた。とっても嬉しかった。
 なのに、兄ちゃんたちはとっても怖くて、逃げ出したくなってしまう。
 兄ちゃんたちはあの幸せな日々の証なのに…僕の幸せなのに、それはもう変わってしまっていてもう変わってしまっていて、
 僕の味方はいなくなってしまったのかな。
 僕独りなのかな。あの幸せの中に居たのは。
 ずっとあの時間が続けばいいと願っていたのは僕だけだったんだろうか。
 兄ちゃんたちは変わってしまったんだ。
「うぅ……えくっ……うぅぅぅ…………」
「あ、鰹兄ちゃん泣かした!」
「え!? いや、梅くん、あなたでしょう?」
「ボ、ボクは知らないにょ!」
「と、とにかく、こうしましょう。」
 ……なのに。
 なのに僕は、兄ちゃんの胸の中で泣いていた。
 変わってしまった兄ちゃん2人の、
 輪の中で泣いていた。
「うぅぅぅ……ぐすっ……」
 もしかしたら、なんにも変わっていなかったのかもしれない。
 全て僕の勘違いじゃないだろうか。
 そう感じられるほどに、兄ちゃんの胸の、体の、感触は懐かしかった。
 変わっていない優しさだった。
 この瞬間がいつまでも続けばいいと思った。
 思っていた。



 起きたすぐ後。
 きつい坂を登校中。
 眠い世界史の授業中。

 僕は、暇を見つけると寂しくなった。
 誰かに抱きしめて欲しかった。
 ふと気がつくと、目尻が濡れていた。
 誰かになぐさめて欲しかった。
 今まではこんなの耐えられたのに。1年もお兄ちゃんたちに会わなくてもやっていけたのに。
 背中に残る鰹兄ちゃんの温もりと、頭に残る梅兄ちゃんの手の心地は、僕を弱くしていた。
 だから僕は毎夕、お兄ちゃんたちの部屋に向かった。
 お兄ちゃんたちはたまに来るお客さんに……さ、サービスを施したが、そうじゃない時は僕をぎゅっと抱きしめて話をしてくれた。
 僕がとても小さい頃の話。
 僕も覚えている、ハチャメチャな遊びの話。
 兄ちゃんたちが、高校に入ったあとの話。
「寮に入って、鮭ちゃんと会えなくなって、私たちはとても寂しかったのです。」
「鮭ちゃんには悪い…ケドー、鮭ちゃんの代わりを探したんだにゃ」
 そうして立ち上げたのがこのサービス。ドMな人を双方の同意のもとで、いじめて。犯して。蹂躙する。
「でも、どうして……おかs……いじめるの?」
「ドMな人というのがいましてね、その人たちが望
「そうじゃなく……えっと、その、お兄ちゃんたちが、その、ドMな人?をいじめる理由は?」
「……」
「い、いや、答えたくなければいいよいいよ!」
 その答えは聞くのは怖い。僕の中のお兄ちゃんたちはお兄ちゃんたちでいてほしい。
 しかし、お兄ちゃんたちは
「確かに何ででしょうね……鮭ちゃんにこのようなことをしたいという願望はないのですが。」
「こう、なにかどっかから衝動がポーン!と飛び込んできて、気づいたらそれに従ってる、って感じだなぁ」
 要領の得ない答えだった。


 短い休み時間。
 キチンと受けないと点数がとれない数学。
 学食で並んでいるとき。

 僕はおかしくなってきていた。
 挿入された鰹兄ちゃんの、と梅兄ちゃんの、が視界を掠めるのだ。大きくそびえ立って突き刺さったその2本が。そうなるとなぜか僕の、もむずむずとするのだった。僕は必死でパンツとスラックスをずらしてそれを隠した。毎日、お兄ちゃんたちの部屋に通って、ささ……サービスを受ける少年たちを見てしまっているからに違いなかった。僕がそんなんなわけなかった。


 それから僕は、見ないことにした。部屋の端っこで目を閉じて布団に顔を埋めた。必死で別のことを考えた。サービスをしているお兄ちゃんたちは僕が何をしていようと構わないようだった。
 部屋に響く音だけが聞こえる。
 パチン……バチン!ぐぐぎぎ……アアァッ!ずちゅっぐにゅっ……はぁはぁアッアアビリビリべチン!ギャアアア
 音だけで何をされているのか分かる。殴打された音。首を締められた音。ガムテープでぐるぐる巻きにされた音。悲鳴。喘ぎ声。嗚咽。挿れられた音。動かされる音。
 いままで何度も見てきた光景が再構成されて映像になった。見ていないのに映像が映し出されていて、僕はやっぱりパンツとスラックスをずらさなければならなかった。


 いつの間にか、挿入されているのは僕になっていた。おしりの感覚が不意に現れるのだ。座っていようが立っていようが歩いていようがお構いなく。
 いやだ、僕は変態だ。いやいや、そんなわけがない。自分からそういうことをしたことはないじゃないか。誰かに強いられているような……


「いいじゃない♪ 性欲に従ってしまいなさい?そうすればきっと楽になるわよ」


「今日は鮭ちゃん、なかなか来ないにゃぁ……」
「そういうこともあるでしょう。忙しいのではないですかね。」
「鰹冷たいのぉ……もっと心配してあげようよ?」
「それより今日のお客さん、ペンネームけゃしさん。知っていますか?」
「聞いたことないにょー……」
「電話ではなく紙の留め置きで連絡が来ましたし、何か訳ありなのかもしれませんね。」
「ま、客は客だよね」
「そうですね。」


「うぅ……くぅ……」
 205号室の前に立つ。
 金属のドアノブに手を掛ける。
「何で……こんなことしてるんだろう……」
 一度ドアノブから手を離す。
 鰹兄ちゃんと、梅兄ちゃんがこの中で待っている。
 お兄ちゃんたちはいじめるのが好きなんだ。
 僕は、いじめられるのが好きなんだ。
「……あんぱん」
 お兄ちゃんたちは、犯すのが好きなんだ。
 僕は、犯されるのが好きなんだ。
 きっと数分後にそうなるんだ。
「うぅ……」
 ドアノブを離す。
 いや、僕は、そんなに変態じゃなかったはずだ……
「すーはー」
 ガタガタッ
 中で物音がした。
 お兄ちゃんたちが僕を急かしているように聞こえた。
 ドアノブを握る。
 いや、でも……
 何かを必死に考えようとしたが何も思いつかなかった……
「すーはガチャッ
「うわっ!」
 突然扉が開いて、手の支えを失った僕は部屋の中に
倒れ込んでしまう。
 即座に布団で包まれて拘束される腕と脚。懐かしい布団の圧迫感だった。
 お尻に痛覚が走った。
 太ももに痛覚が走ふくらはぎに痛覚が耳に痛覚がこめかみに痛胸に痛腕が痛痛痛痛
 だから僕は悲鳴を上げた。
「鮭、くん……?」
 鰹兄ちゃんの声も気持ち良かった。痛みが気持ちよさに変わるんじゃない、痛んでいることが気持ち良かった。お兄ちゃんたちが僕を痛めつけてるってのが気持ち良かった。きっと僕は、そんな顔をしていた。でも気持ち良かったのでどうでも良かった。幸せだった。気持ち良かった。入って出ていった。梅兄ちゃんは今まで見たことのないような表情をしていた。鰹兄ちゃんはずっと微笑を浮かべていた。楽しそうだった。気持ち良かった。愛していた。僕たちは、愛していたけれども、こんなところで愛の永久運動を続けるて、回り続けるのもいいのかもしれない。お兄ちゃんたちはいじめて気持ち良くなる。僕は、いじめられて気持ちよくなる。なんの隙もなく完結した愛だった。
 だから僕たちは、握って結んだ。
 それから幸せに暮らした。





「こんな馬鹿たちつまーんなーい!もっと他の奴を堕とそぅっと」



握って結んで





僕も縛られたいな

よりとぅむ