音楽室のピアノ少女

 

「私がここにいるってことは、彼と結ばれなかったんだね」


その年藪水高校にはピアノ少女の噂が流れていた。
まあ、噂なんて珍しくないのだけど、穏やかな噂だ。
放課後に誰かが音楽室に忍び込んでピアノを弾いていると言うのものだ。
少女に限定されてしまったのは、そうであってほしいと言う希望だろう。
実際女生徒が弾いているから間違いではなかった。
そう、ピアノ少女とは、私のことだ。
ばれたくはなかった。だって、恥ずかしい。
私がピアノを習っていたことがあって、今でも大好きだなんて誰が考えるだろう?
男勝りで気丈夫、どちらかといえば体育会系、と、分類される気がする、私が。
音楽の授業のたび、始まる前にピアノを少し触って遊んでいる子が羨ましかった。
人前で弾こうとはとても思えなかった。今なら、別にいいかと思えるけど。
だから私は放課後に、こっそりとピアノを弾いた。
まさかこんなに広く知られることになるとは思わなかったけれど、
噂を噂のままでしておいてくれる生徒が多かったのは幸いだった。

ある時、音楽室に誰かが入ってくる。よく知ってる男子生徒だ。私の、幼馴染だ。
彼は信じられないような顔をして、だけど少しホッとしたと。
よく知っている私で、むしろ良かったと打ち明けた。
曰く、ピアノ少女に恋をした彼は形振り構って等居られずに、
告白を決心した後音楽室に入ったのだと言う。
ピアノの余韻、夕暮れの薄暗さ、制服の二人。往年が築き上げた曇りはたちまち崩れ、
別に特別好きではなかった。でも、昔からずっと一緒だった。
それもよくあることなんじゃないかと、私たちはキスをして……最後まで。

後悔はしていない。嬉しかった。二人は幸せだった。
だけどピアノ少女が誰かのものになるのは、噂を噂のままでしたかった生徒には不満だったらしい。
一週間も経たない内に新しい噂が広まった。誰が広めたんだろう。
ピアノ少女は、あの子。あの子がレイプされたのを見た。レイプした男子生徒は最低だ、と。
彼が学校中から蔑視されていて、精神的に追い詰められていることを、教えられた。
私は壊れ物を扱うように避けられて、あらぬ憐憫の目を向けられていることを、身を持って知った。
こんなはずじゃなかった。そうでしょう?

もう耐えられない、と。彼が言ったのは何月のことだったのか。
私たちは遺書を用意して、夜の学校に忍び込んで、当て付けるために心中したのだ。


ピアノの音は響いているのに、静かだった。月明かりに照らされた彼女が綺麗だった。
そうだ彼女は綺麗だった。ずっと綺麗だった。そんな夢から目が覚める。
―――目が、覚める?
起きた。周りを見た。白い。ここはどこだ、病院?
そんな馬鹿な。死ねたんじゃなかったのか?!
互いに包丁を、腹に突き立てて、首を裂いて、血を噴出して死ねたんじゃなかったのか!!


藪乃坂水橋高等学校の音楽室で※※※※さんと居蔵馨さんが倒れているのが見つかりました。
二人は搬送されましたが、居蔵さんは既に息を引き取っていたとされています。
※※さんは入院中ですが錯乱しており、ピアノの上の遺書から、二人が心中を試みたものとされています。

伊式十三丸