景色の良い場所まで連れてって

 

 藍斗が珍しく海へ行きたいと呟いた。肘を突いて窓から吹いて来る熱い風に髪が揺れる。
 その目があまりにも無意識に支配されていて、そのままどこかへ行ってしまうのではないかという不安に駆られた俺は、じゃあ、海に行こうと手早く二人分の用意をして同じ形をした手を掴んで家を出た。藪乃坂市に海は無い。というか、ここは内陸県なので海に行くためには少し遠くへ行かなければならない。その一番近い海だって海水浴場と言う訳ではないらしい。らしいと言うのは、今電車の中でスマフォで調べたんだけど。片割れはずっとどこかに体を預けながら、遠い目をしていた。
 たぶん人生の中で二人が一番会話をしていない時期になる。
 宇津井先輩を暴行した事件が学校側にばれて、流石にやりすぎたのか学校から謹慎処分が言い渡された。母親は「あんたたちまで、やめてね。これ以上のことがあるなら縁を切るわ」と大体そのようなことを言って静かに叱られた。そして復学して間も無くに夏休みだ。クラスメイトの冷ややかな目を浴び続けなくて良かったのは幸いだった。
 藍斗は、ずっと黙っていた。廃人のようになったわけではない、きちんと生活はしていたけれど。まず全く話しかけてこなくなった。俺の話にも相槌は打つが時々聞いてないし、笑い方が力無かった。
 言っておくと、双子だからテレパシーがあるとかシンクロするとかそういうのは無いし俺たちは信じていない。だけどこんなにわからないことが怖くて、悲しくて、辛いだなんて感じたことは初めてだ。
 藍斗が、海に行きたいと言った。久し振りに欲求をした。俺が出来るのはたぶん、それに答えるだけだ。
 線路を走ること2時間、駅から歩いて30分。誰もいない海岸が俺たちを出迎える。
 「なんか途中で買ってくれば良かったな、お腹空いたし喉も渇いただろ?」
 「……うん」
 「……あのさ、なんで海に来たかったの」
 「なんとなくだよ」
 藍斗は潮の香りをスッと肺に押し込めると、静かに海のほうに歩いていった。今日は雲の多い晴れ空だけど蒸し暑くて気温は高い。それでチョイスしたタンクトップは、当然肩が出ていて腕が露出している。垂れ下がった影のようだった。生まれつき肌が黒い俺たちは、そのことをからかわれるのだけは許せなかったけれど。七部丈から伸びる足は濡れた砂浜に辿り着いて、尚進もうとしていたから、慌てて追いかけた。
 死んじゃ駄目だ。唐突にそう思った。俺の傍から離れないで。藍斗がいなくなったらどうなるんだろう、考えられない。目の奥が熱い。他人はもう信じられないし信じたくないんだ。母さんに甘えるのも、もう大きくなりすぎた。普通の仲の良い双子であれたならと思ったこともあったけど。
 でも「なんで泣いてるの紅斗」
 「……えっ」
 「嗚呼でも、僕おかしかったよね。ずっと。ごめん」
 ようやくこちらを直視した藍斗は、でも目を合わせるのが後ろめたいように視線を動かしていて、だけど同じ形の掌で頬を撫でてきた。泣いているなんてことが恥ずかしかったので思わずその手を払いのけて顔を隠したかったが、それよりも早く彼が俺を掻き抱いてきた。
 その、力強さたるや。さっきまで考えていたマイナス思考が嘘のように殺されていく。
 俺とお前はきっとずっと一緒なんだろう。
 「僕ね、ちょっと自殺した気分になりたかったんだよ」
 「ん?」

 ばっしゃーん。

 「い、冷って、うわしょっぱ、うわぎゃあああぁぁぁ目痛い!!」
 「うるさーい」
 「なにすんの?!いきなりなにすんの!!」
 「紅斗を巻き込んで海の中に倒れてみました」
 「最っ悪なんだけど、着替えとか持ってきてないのに……」
 「本当は一人でずぶ濡れになるつもりだったんだけどさぁ」
 一頻り笑い合うと、藍斗は海水に浸かりながら渇いた浜の上を枕に横になった。押し寄せる波がまだ座ったままの俺を通り過ぎて、彼の足に被さる。
 「一回はしてやらなきゃ気がすまなかったんだよな、僕達」
 「……なんの話」
 「宇津井先輩の。あとは、んー……緋色って言ったっけ?」
 「なに、後悔してんの?」
 「まさか」
 「じゃあなんで今その話すんの」
 「あの時、邪魔が入らなかったら殺せてたんだろうなって思うんだよ。謹慎が解けてまた学校に行ったときも、宇津井先輩は相変わらずみたいだった。やっぱり、殺していれば、今度こそはって思ったんだよ。これから先ずっとその考え方に囚われるんだろうな、僕は。生きていけば少しくらい気持ちが紛れてくれるんだろうけど、ふとした瞬間に思い出したらやっぱり殺したくなるんだろうな。誰かを殺さなきゃ生きていけないくらい狂ってしまう感覚、些細なことに振り回される情けない感覚、それならばいっそ自分が死んだほうが早いかもしれないって感覚」
 次の言葉はしばらく紡がれず、波の音が静かに響いた。死ぬなとは言えなかった。考えなかったわけじゃないからだ。
 やっぱり俺とお前は双子の神秘があるのかも。
 「でも紅斗を一人にしたくないからそんなわけにも行かなくって」
 「うん、俺やだよ、藍斗がいないの」
 「でしょ、僕も嫌」
 「一人で死ぬなんて許さねぇよ、俺も死ぬんだ」
 「本当?」
 「うん……嗚呼、そうだ、藍斗ちょっと立って」
 だるそうな彼の手を引いて向かい合うように立たせる。確か持ってきたはずだ落としてなければいいけど、とズボンのポケットを探ると二つの小さな金属が指に当たった。それを握り締めて、二人の間で開いて見せる。
 「指輪だ」
 「丁度赤と青あったから、買ったんだ。デザインもいいだろ」
 「うん、かっこいい」
 「なんか話しかけ辛かったから渡せなかった」
 「ごめんってば」
 藍斗は指輪を取った。赤いガラスが埋め込まれた指輪だ。俺を置いてけぼりにして、薬指に嵌めて眺めている。
 「……そっち?」
 「たまにはいいじゃん。大体さ、僕たちが色違いのアクセサリーつけてるのってどっちがどっちか周りがわかんなくなるからでしょ」
 「そうだけどさー、なんかもう集めてたくさんつけるの楽しくなって来ちゃったし」
 「僕もオシャレするの嫌いじゃないからいいよ」
 「じゃ、俺青いほうだな」
 もどかしい気持ちで残っていた指輪を嵌める。藍斗の色だ、と思うと、恥ずかしくなる。だけど交換したって寸分も変わり無いのだ。俺はお前のものでお前は俺のものだから。

 だから。

可愛い二人だと思ってるんですけど、
もしかしなくても影薄いよな……でも交流向けのキャラじゃないしな……
と思ったので二人だけの世界を書いてみました。
どうか無事に卒業して欲しい。

伊式十三丸