【今様神隠し譚の世界観】
昔の日本では忽然と人が姿を消してしまうことを「神隠し」と呼びました。
不思議な現象は全て神の力によるものであり、であれば人一人消すのも容易いと言われたのです。
ほとんどの人はそのまま帰って来ず人々は神と神の力を恐れていました。
しかしごく稀に帰ってくる者もいました。
彼らの語る言葉は時に神懸り、纏う気配は人離れしたものでした。
その人を中心にやがてその村はたちまち交流を断ち、塞ぎ込み、瘴気に包まれてしまいました。
これを危険視したのは神職に関わる者たちです。
彼らは、神隠しから帰ってきた者を「神隠れ」と呼び、人知れずところで原因を探ります。
やがて辿り着いたのは「堕ち神」と呼ばれる、信仰を失った成れの果てでした。
堕ち神は自分の神域に人を呼んではその正気を喰らい、
信者として操ることで神の威厳を再度保とうとしていたのです。
中でも神隠れは「依り代」として神に取り付かれ周囲に瘴気を撒き散らしていました。
神職の者や天の神はこの事態を未然に防がなければと決意しました。

堕ち神の未練を晴らし浄化すること。依り代を全て破壊すること。
故に神隠れとして現れた者を殺すこと。
人に知られてはならないように、神職の者は流れ行く時の陰で瘴気と戦います。
時に神隠しは妖怪の仕業でもあり、夜逃げや長旅であったこともありました。
しかし如何なるときも堕ち神は息を潜め信仰を求めているのです。

そして、現代現世。
多くの人々が伝承への畏怖を忘れ、御伽噺となった頃。
陰の伝承を正しく語れる者など、ほとんどいなくなってしまった頃。
古い町に僅かに残る神隠しに挑む血筋、
天の神に選ばれた類稀なる原石、
冴え渡る霊能力を持って生まれた鬼才、
恐れに立ち向かえる無限の可能性、
忘れられようとも日常に潜む妖怪、
瘴気から再び自身を取り戻した奇跡。
新たなる伝承の語り手たちによって現世は瘴気から守られているのです。

【世に遍く気力について】
あらゆる存在には全て"気"と呼ばれる力があります。自我や意義を保つための殻のようなものです。
気自体はとても曖昧なものであまりにも力が弱いと本質が見え辛く移ろい易いのですが
強ければその分目立ち、良くも悪くも他の気を引き寄せ、削り、本質に影響し始めます。
そのせめぎ合いの中で人は生きていて、様々な思いを抱えていくのです。

正気というのは、自我の真理に染められた一種の秩序です。
誰しもが同じ考えを持っているわけではありません。むしろ人の数だけ正しい行いがあります。
自我の心理に基づく生き様をどれだけ貫き通せるのか、それは正気の強さに関わっているのです。

神気というのは、その名の通り神が纏う正気です。
人間離れした強い気力に尊く厳かな自我の心理に、人々は昔から救いを求めていました。
しかし強いというだけで無限ではありません。人や土地を救うために天界を離れるとたちまち神気は失われます。
神としての力を失わないためには依り代と自らを崇めてくれる信者が必要です。

瘴気というのは、あらゆる悪い雰囲気全てです。
考えや行いを倦厭し、五感や体調に不満を感じ、理由なく拒絶を示す時、瘴気が関わっているのです。
瘴気は自分以外の何者かの正気であると唱える者もいます。
堕ち神はかつての正気の残骸を纏っているに過ぎず、そのため根絶ではなく浄化をし癒すべきと考えられています。

【神様について】
八百万の神が住まう島国、日本。
その大きな存在は天の上で静かに人々を見守っています。
中には依り代に降り、現世で信者を集い威厳と神威を振るう者も居ますが、
ほとんどの神は天の上から時折窮地を救い、時折罰を下し、人々を愛しています。

神様がどのようにして生まれるのかは様々な諸説があります。
古びた物に意志が宿り九十九神が生まれる、強い正気と天にふさわしい性の者が死後氏神となる、
清らかな自然から純心な天地神明が現われる、未練を残したものが祟り神となり祭られる、
全てよく言われていることで、真実です。
他にも神の誕生は様々な可能性がありますが、八百万と言うだけあり、語りきれない程の真実があります。

現代の日本を統べているのは神姫逸天(しんき いってん)と言う、若い女神であると言われています。
彼女が天の上でどれほどの影響力を持っているかは定かではありません。
それでも強く真新しい神威はこれからの時代を永く和平に包むことでしょう。
彼女自身が個人の守護に当たったり、直接救済をしたりと言うことは、よほどのことが無い限りありません。

キャラ作成における、守護神について。
守護神についているフレーバーテキストは現代における一般知識である、という認識で構いません。
あまり関心の無い者は名前すら定かではないかもしれませんし、特に守護神と積極的に関わっている者は細やかな部分まで語れるかもしれません。
いずれにせよ神様は遠く手の届かない存在で、正体が完全に判ることはありません。
神を説明する時、その描写には多く主観が混じることでしょう。
果たして守護神が人を選んだのか、人が守護神を選んだのか、それは各々の思うままです。


背景:戦場に猫